『海原』No.24(2020/12/1発行)誌面より
疋田恵美子句集『日向灘』
広くて深い 河原珠美
まもなく宮崎空港に着陸いたします。こんな機内放送が流れると、私はいっそう窓に顔を近づける。そして美しい弓なりの海岸線や、きらきら輝く日向灘に見入る。宮崎を実感する瞬間である。
そんな宮崎を代表する日向灘を句集名に、疋田恵美子さんの第一句集が上梓された。全国大会や勉強会などの参加にも熱心で、社交的な疋田恵美子さんは、もはや全国区の知名度であると思う。
菩提寺のおたまじゃくしの数珠つなぎ
玉手箱秩父をまるごとつめこんだ
さんしょの実かめば精霊こだまこだま
さあ夏だモンローのよう歩きましょう
本句集は年代順の七章に編まれているが、「菩提寺」の句には「海程」四十周年全国大会と前書きがあるので、本格的に俳句を始められたばかりの頃だろう。次々と言葉が溢れ、俳句を作る嬉しさや楽しさ、屈託のなさまでもが見受けられ、読者までうきうきした気分になってくる。
疋田さんは年季の入った山ガールのようで、「滑落、三ケ月入院四句」という前書きの句まである程だ。
山笑うわたし砂礫を滑落す
碧雲の樹氷にあそぶわたし天使
初日の出韓国岳でワイン酌む
祖母山や欅芽吹ける縦走路
どの作品も明るく、読者を山へと誘ってくれるが、ドキュメント風の句群もさることながら、
山小屋や寝る向き同じ牛蛙
駆け抜ける狭霧の鹿を愛という
手は常の白さ樹氷に昼の月
なずむ身を青葉の山に置きて去る
など、より内省的な句群に表現の深化を見ることができ、興味が尽きない。
月光に母を泛べる日向灘
句集名「日向灘」は掲句に拠るとのこと。広大な日向灘の月光は、どんなにか輝くことだろう。夜の青さの日向灘の輝きに、お母様への想いを重ねて美しい作品となった。疋田さんは高知県のご出身と聞く。日向灘の向こうは故郷なのだ。
集中には母恋いの句だけでなく、家族愛がテーマとなっているものも多く、微笑ましく心温まる作品群であるが、私はもう少し別の「愛」をテーマとした作品に注目した。
月載せて谷に群れなす孕み鹿
常設テント夜半なり虫のなわばり
空也上人鈴の音いろを秋風に
にぎりめし山蟻合掌して消える
空振や狐の声のうわずって
一句目、雌鹿への共感が「月載せて」という美しい表現を喚起したのだろう。
二句目、夜半のテントに飛んで来た虫を嫌悪するのではなく「虫のなわばり」と面白がる余裕。
三句目、空也上人像を見ての発想と思われるが、宗教上の敬愛というよりも、他者への労りのような情の深さを感じてしまう。
四句目、蟻の動作を「合掌」と感受する優しい眼差しが嬉しい。
五句目、火山の噴火の予兆に怯えるのは人も獣も同じなのだが、当然のようにそう思える作者に共感する。
次に挙げる句群は、フクシマへの深い想いを描いたものだ。
磔刑のごと夕焼けに一本松
フクシマやあかくならないからすうり
累卵のしずけさ初秋のフクシマ
会津初夏セシウム測定機校庭に
楽しくて言葉が溢れるようだった初期の句群とは趣の異なる表現が見られるようになり、「磔刑のごと」「累卵のしずけさ」などの比喩は圧巻である。
秋青しジュゴンに会えるところかな
ジュゴン今冬の辺野古をさまよえり
辺野古湾ジュゴンの住処荒されて
ジュゴンの死ふかふかの砂絶たれしか
フクシマの句群と同じで何の注釈もいらないだろう。俳句をする人ならだれでも自然を愛し、平和を尊ぶものだと思っている。だから、これらの句群をイデオロギーだ何だと評するのは少し違う気がしている。「ふたりごころ」そんな言葉が過る。疋田さんの作品には日常を濃やかに描いたものも多く、心惹かれる数句を挙げる。
置いてありひとりに足りるマスカット
九年母や一日一個楽しめり
夫の間に夫の手植えの椿盛る
少しずつ身軽になる歳茗荷の子
いつも明るくて行動力のある疋田さんは、憧れの阿辺一葉さんを訪ね、指導を仰いだという。お二人はまるで母娘のようで、今もその絆は深いのだ。
金子先生と同い年の阿辺一葉さんは、今もお元気で一人暮らしをなさっておられ、相変わらずの睦まじさだ。
生涯に恋しき師あり野梅咲く
百歳や稲穂のごとくたおやかに
亡師ひとり老師ひとりや遠霞
広くて深い言葉の海を、疋田さんはどのように航海するのか、興味は尽きない。